聞こえてんだよ!てか聞かせてきてんだろ!らァ!とか言えたらな

 こんにちは。

 

 

 今日駿台で階段を登ろうとしたら、そこで道を塞ぐようにしてたむろしている4人組がいたんですけど、(今はそんなことどうでもいい!たとえ彼らが100人で全員寝釈迦のポーズをとって階段の破壊工事をしていたとしても、僕はここに書き留めもしなかったでしょう!)横を通った時に、え、こいつキモくね?歩き方もやべぇし…的なことを、こちらに聞こえないように喋る素振りで(しかし確実に聞こえる音量で!)言われてしまいました…

 

ググ…

 

 言っときますけど、これは絶対に被害妄想じゃないですから!歩き方は変にならないように気をつけて歩いているつもりですけど、変にならないように気をつけている時点で…なので、そこに言及されてしまうと本当に誤解の余地がなくなってしまう。

 

 というか、一部の人には分かると思うんですけど(僕が姿を知っている人達の中には分かりそうな人はいませんよ)、こういうことマジで言ってくる(それも前述のセコいやり方で)人というのは結構いるんですよ。街中とかには。

 

 僕もね、そういうの9割は被害妄想や勘違いだと思って処理してますし実際そういうケースの方が多いと思うんですけど、たまに服装や動きで指名されてしまうので逃れられない。

 

 まぁ、もう、街中とかのはやっぱり…街だし。いろんな人がおるし。そういう声が聞こえたら部落の人間で初等教育も受けてない文盲なのかなとか思って、こちらの頭の中で最大限相手を踏みにじって対抗しているんでいいんですけど(僕がたまに本物の差別精神を持っているのはこういう街中で襲いかかる精神ダメージに対抗する手段として差別を使っているからかもしれない。いや、さすがに正当化が過ぎるか...)駿台とか、そういう街より1段階小さい社会で知らない人間にやられると…

 

 そもそも大学受験するくらいだから文字の読み書きくらいは絶対出来るだろうし小学校も確実に卒業してるので、やはり異常なのはこちらなのか…とならざるを得ない。

 

キツ…

 

 本当に、もう、暴力でこいや。暴力でこい。4人かかりでリンチしてくれ。そしたら俺だってボコボコにやられながら、確実に全員の脛を折ったり出来るかもしれないじゃん(オタク特有の自分の戦闘力への過信)。でも口喧嘩で4対1は完全に不利じゃないか。

 

 しかも俺はコミュニケーションにおいて頭が回る方ではないから人がどうやったら傷付くとか全然わからないんですよ。自然に相手を不快にすることはあっても意図してそれをすることは出来ない。ホントなんで暴力で来ないんだよ。かと言ってこっちから行ったら正当防衛にならんし…

 

 そう、ここは駿台、全員が大学受験を控えているので、社会地位を失うのを恐れて、だれも暴力を振るわない、日本で1番平和な小社会!サイコーサイコーの平和ユートピア

 

 やってらんねーーーなおい!!!!!

 

 僕は今まで、集団による暴力こそが恐ろしさの最極限だということ知ってきて、それに耐久することだけを磨いてきたんですよ。空手や柔道の技とかをかけられても悪ふざけレベルなら転ばないようになったし、より酷いダメージを受けたように見せながら1番ダメージを避けるコツも身につけたし、精神面でも明らかに生死に直結しない痛みは冷静に耐えられる構造を組み上げてきました。

 

 でも、物理的というのは耐久力はどこまでもその域を出ない!肉体の観念的な扱いなんてものは精神の絶対優位を唱えれば簡単なものです。いやまぁ精神面でもかなり色々な自己暗示、強迫観念、思い込みなんかでグチャグチャに増築しまくって違法建築となり果てているような気もしますけど、とにかく!いかにも慣れてそうと思うかもしれないですけど、僕は知らない人間からの異端視にめちゃくちゃ弱い!!!!慣れたりしませんこればっかりは。

 

 いや、異端視というより多数派マウントだな。僕はマウントをかなり価値観の中心においているので、確かな根拠でもってマウントを取られてしまうともうどうしようもなくなってしまいますね。キモさとかダサさとか挙動のヤバさとか、少数派であること(趣味や思考のながれについて)など、絶対相手に勝てないという自覚があるものでマウントを取られるとボロカスにやられてしまう。

 

 そういう時はマウントを取り返すしかないんですけど、なるほど中学までのあいだマウントの恐ろしさに気付かなかったのは肉体的危機がより切迫していたのもあるにせよ勉強という超最強のマウント兵器をこちらが保持していたからだったですね...僕は全然、天才児だったので...

 

 しかし高校に入って一気に難しくなった勉強に全然ついていけず、普通に落ちこぼれになってしまった上、神経質さが百倍くらいになり眠れなくなって登校もままならずマジのカスになってしまった上、いきなり自分が発達障害だということを知ってほんとに全く知能面で取れるマウントがゼロになってしまった。

 

 もう今僕が取れるマウント、マジで、死に繋がらない暴力じゃなければだいたい耐えられるということ(やり返す能力は無い)と、日本人であること()くらいしかない。どうすればいいんだ~~~~!!!!どうすればいいんだ~~~!!!

 

 マジで知らない人から急に悪口とか言われると死角からほんっと...ウグ...ウグ...

 

 あっ...そうなんです。今回は全然話が大きくなったりしません。極論もないです。いつもはめちゃくちゃふざけて巧妙にカモフラージュしながらメンヘラってますけど今回は全然、普通に余裕がないので...そのかわりかなり理路整然としてるんじゃないでしょうか。すごいですね。こんな読みやすい文みたことある?

 

 おわります。

悲しみの感情は必要か

 こんにちは。最近、授業中うとうとしなくなった代わりに数秒気絶するようになりました。首はがっくんがっくんならないしノートも綺麗に写せるのでオススメです。不眠でも社会に適合する素晴らしい技術を手に入れました。やったぜ!

 

 

 日常の生活の中で、人は多くの悲しみに見舞われます。そして悲しみに打ちひしがれると力が入らなくなって、何もできなくなり、結果的にもっと悲しい事態を引き起こしてしまうことも多いですよね。これってなんというか、かなり非効率ですよね。ですが非効率だからといって、悲しむのをやめようと思えばやめられるものでもありません。どうすればいいのでしょうか。そもそも、悲しむ意味ってなんなんでしょうか。皆さんは考えたことありますか?

 

 子供の頃は、多くの家庭では、悲しみを感じそれを感情のままに表現すると、それを察した周りの大人が、その悲しみのもとを取り除いてくれたり、解決してくれたりしてくれたでしょうから、それを促すために悲しむ、というのはあるかもしれません。しかし、大人になると自分の不機嫌を周りが解決してくれるなんていうのが通用するのはごく一部の人間だけです。たいていの人間は悲しかろうとなんだろうと、周りも自分のことで精一杯なので、自分で解決していかなければなりませんよね。

 

 するとやはり、なぜ、悲しみが存在するのかという疑問が生じます。つまり、自分にとって不都合な状況に陥ったとき、そのこと自体困るのに、その上悲しみに見舞われるという更に困ったことを強いられるというこの非効率が、なぜ、長い進化の歴史の中で削ぎ落とされなかったのか、或いはこんな機能を獲得してしまったのか、ということです。

 

 

 精神の作用などを考察するには、大きく分けて二つのアプローチがあります。一つは頭の中で考えたり、自分や他人の精神の動きやその作用を観察して、それを研究していく手法です。フロイトの研究とかがいい例でしょう。(精神科医である彼は、患者の様々な症例から、人間全員に通じる精神の一般法則を打ち立てる研究をしました。)

 

 そしてもうひとつは、近年の医学の発達により可能になった、脳細胞の仕組みなどから精神を生理現象の集合として捉える方法や、精神のようなものを機械で再現していくことで、精神というものが成立するにはどのような機能、要素がどういう繋がり方をすれば良いのかを探る方法など、精神を外側から、しくみから、構造的に捉えて研究する方法です。

 

 ここでは後者の方法で、悲しみの存在意義について、僕なりの考察をしてみたいと思います。

 

 

 脳の模倣に始まったと言われている、人工知能について考えてみましょう。最近著しい進化を遂げる人工知能。その研究の中でも特によく身近なニュースに上がるのは、チェスや囲碁、将棋などボードゲームをするAIですよね。あのAIたちは、どうしてあんなに強いのでしょうか?一昔前なら、盤上の状態を全部見比べて必勝法を考える、くらいのアイデアしかありませんでしたが、ボードゲームの全ての状態を数えると凄まじい数があり、現在の人類の技術を結集しても、まだとてもできるものではありません。なのでコンピュータは、まだ必勝法を知っているわけではないのです。それでもAIはとても強いですよね。人間のプロでもほとんど太刀打ちできません。ならば、どのような方法で?

 

 細かい仕組みは僕もよく知らないのですが、基本的に戦略を考えるAIというのは、

①.まず適当に戦略、すなわち、ある状況に対して取るべき行動をただ一つ出力するような関数(今後、戦略関数と呼びます)をかりぎめする。

②.それに基づいて実際にやってみる。たとえばボードゲームであれば、盤上の情報を戦略関数に代入して、出力された指示に基づきコマを動かす。

③.成功したか失敗したか(勝ったか負けたか)に基づいて、戦略関数を調節する。

④.②③を繰り返す。

という仕組みで、成功と失敗に基づいて戦略を洗練しながら強くなっていくらしいです。

 

 これと同じことが、人間の脳でも行われていることがわかっています。ただし、こちらはボードゲームではなく、人生という壮大な規模での戦略決定において。(無論ボードゲームをする時にも同じようなことが頭の中で行われています)

 

 人間の脳も、感覚器官からの情報に基づき行動を決定する、ひとつの関数のようなものと捉えることができます。そして日々、成功になるべく近づき、また、失敗をなるべく遠ざけるように、関数を調節しているのです。では、人生において成功とは?進化学的にはそれは、生存したり、遺伝子を後世に残すのに有利な状況です。

 

 たとえば、私たちが満腹なとき、また、満腹に繋がるような状況(お金をもらうとか、美味しものを食べているとか)にいるときとか、性欲が満たされている状態とそれに付随する状況(相手は自分に気があるんじゃないかと思っているときなど)にあるとき、脳ではある物質が放出されます。

 

 その物質はエンドルフィンやらドーパミンやら、種類はたくさんありますが、その大まかな作用は、脳の記憶を増強するというものです。つまり、とてもいい状況にある、すなわち成功した時の脳の戦略関数は、人間をいい状況に導くもののはずだから、今後も同じ戦略をとっていくために、その戦略を脳に強く記憶させる、という働きがあるんです。そして、これらの物質が分泌されているときには、人間は幸せな気持ちになっています。

 

 一方で、体に傷を被っているとき、熱があるとき、空腹なときやそれに繋がる状況(職を失ったり、コミュニティから排斥されたり)にあるときには先ほどとは逆の作用を持つような物質が脳では分泌されています。すなわち、やばい状況に陥ったのはその時の脳の戦略が悪かったということで、二度とここに陥らないために、脳の記憶力を下げて次から同じ戦略を取らせないようにするというものです。そして、ようやくここで、これらの物質がでているとき私たちは、痛みや悲しみを感じるのです。(失敗を次から気をつけようと思ってもなかなか出来ないのに、何回か失敗しているうちに意識せずに失敗を避けられるようになったりするのはこのためではないでしょうか)

 

 つまり人間が悲しみを感じるのは、長い進化の過程の中で、生存に不利な状況に陥ったときに、次からそうならないようにする仕組みが、精神の上では悲しみという感情として現れているということなんです。

 

 

 しかし......................!!!!!!!この機械化、技術化、効率化、そして社会のシステム化、このような状況にあって、一人間の行動がちょっと変わったとかで、どれだけ生存確率がかえられるでしょうか???また、我々にはこういう動物みたいな脳の仕組みではなく、理性というものがあるじゃないですか。脳が戦略を調節せずとも、言葉を使い、紙に書き、論理を組み立てていくことで、ほとんど同じように失敗を予測してそれを避けたりということができるじゃあありませんか。むしろそのような場合に覚えておきたいことが覚えておけないなど、多大な不便を我々は、我々の脳自身によって強いられているんですよ!

 

 すくなくとも、悲しみは必要ない!僕はそう思います。なんなら痛みもいらない。ホントの子供のころ、刺に触ったら痛いとか、そういうことを覚えるときにだけ痛みがあれば良いです。(子供は何が死につながるかということを知らないので、本能的に体の外傷を避けることができるように痛覚が備わっているが、畜生どもと違って人間の、理性の発達した大人なら、何をしたら死ぬかということを知っているので必要ない。)

 

 というか、なんなら、死を避ける必要性はそもそもない!!我々が死を避けるのは、前述のとおり、痛みや悲しみを避けたいという脳の要請に従って、痛みと悲しみの極限である死を恐れているからです。そして、なぜ脳がそういう要請をするかというと、そういう仕組みで、死を避けるように作られた種だけが、今まで生きてきたというだけに過ぎません。そして痛みや悲しみを感じなかった結果、別に死ぬとかどうでもいいよね~と思ってきた動物などは、もれなく進化の系譜の中で絶滅してきました。要するにより死を恐れ、常に余裕がなく、必死で子孫を残すことを考え、できるだけ多くの時間を悲しみや苦しみを避けるため、ひいては死をさけ、未来へと自分の遺伝子を残すために命を使う、苦しみ・・・悲しみ・・・才能・・を強く持った動物だけが生き残ってきた、そしてその際たる種族たる人間が、地上の暫定王者として君臨しているというだけに過ぎません。

 

 だから生きる必然性とか、意味とかは一切ありません!恐怖も喜びも、遺伝子のせいです。遺伝子がなるべく未来に届きたいからというだけです。感情というものは遺伝子が我々をだまして、遺伝子の乗り物として我々を使役するためのまやかしに過ぎない!しかし喜び、幸せというものは、遺伝子の思う壺でくやしいけども実際我々にとって魅力を感じる状態、心地の良い状態ですから、いいでしょう、もっと強く感じる仕組みにしてくれてもいいですよ!でも、痛みや悲しみや苦しみはダメです。遺伝子のエゴです。そんなものには付き合う必要はない。

 

 人間は遺伝子を超えたいとき、どうしてきましたか?つまり遺伝子の成長というものの余りに遅さに付き合いきれなくなったとき、我々人類は何をしたか。我々自身の進化の代わりに、科学を進化させてきましたよね!?水中でも呼吸したい。水陸両用のエラを獲得するのを待つ?いいえ!酸素ボンベを開発しました。チーターのように早く走れる足を獲得するのを待つ代わりに、車を作りました。飛ぶのに翼なんか要りません。ただ鉄の塊を空に飛ばして、それに乗り込めばいいだけです。ならば、次は悲しみを、科学によって解決すべきです。それも、医学を発展させて死別をなくすとか、そんなことではなく、もっと根本的に。そう!!!!!!!!!!!ドラッグ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!やろうぜヤクを!!!!!!!!!!!!!!家庭が滅茶苦茶になるとか、しぬとか、そうやって国家は我々に、我々のためだよと言ってドラッグを禁止していますが、実際幸せなのに、家庭が滅茶苦茶になるとか関係ないだろ!!!!!!!!!!薬で幸せということは、家庭がめちゃくちゃになろうとも幸せということです。関係ない。家族がかわいそう?家族も薬をやればいい。みんなが一斉にやれば全員サイコーなんです。2020までに国民全員に死ぬまで行き渡る量のドラッグを生産貯蔵して、オリンピックと同時にばら撒け!!!!!国民のことを真に考えているならば、国家はすぐにでもそうするはずなのに、なぜそうしないのか?そりゃあ、国の偉い人は、ドラッグなんてなくても、国民から絞り上げた税金でざぶざぶお札のお風呂して、ドラッグの代わりに美味しいものを食べ、性欲を満たし、そうやって幸福を感じているからです。国民が全員ヤク中になってみんな死んでいったら、そういう幸福を感じられなくなります。勿論それらの幸福とドラッグの幸福には一切違いはありませんが、政治家は全員バカなのでそれがわからないのです。アホらしくありませんか?政治家のバカのエゴでこれだけ悲しみを強いられているのが。ドラッグが合法化したら今すぐにでも餓死するまでの期間十分ガンギマリできる量のドラッグを買って、暴れたりして周りに迷惑をかけないように外鍵のついた頑丈な部屋にこもってキマったまま死にたいと思ってます。それが幸福の手段として最適だからです。そうして密室でミイラ化して、即身仏になります。ガンギマリ即身仏。サイコーーーー!え?何?ドラッグで得た幸せなんて、本物の幸せじゃない??黙れバカがーーーーー!!!!!さっきから言ってるだろ!脳生理学的に仕組みは一緒なんだよ!だから一緒!国に騙されてんの!お前は!ええ???何????痛みや苦しみがあってこその人生??それを乗り越えて初めて真の幸福がある?????黙れ黙れ黙れバカバカバカバカ!!!!!!!!!!!!!それは前回のブログで言ったナラティブ処理!!!お前は苦しみや悲しみから心を守りたくて、何か意味があるからそうなんだという必然性めいたもので耐えるために合理化してるだけなの!!!!!!わかる....!わかるよ!!お前の気持ちは痛いほど解る!!!!辛かったなあ!痛かったなぁ!それでも誰も助けてくれなかったよなぁ!!!!!!!でも安心して!!!!!ドラッグで充分幸せになれるから!!!もう耐えなくていいんだよ!!!さああなたのために、あなたができる一番の行動をして??みんなで暴動を起こそう???いっぺんに国家を転覆させて、国家の巨大な権力を使って国民全員ガンギマリ計画を実行しよう???なんなら世界中に、幸せウイルスをばらまけばいい!!幸せウイルスっているのは空気感染でどんどん人間から人間に感染して、めっちゃくちゃ幸せな物質を脳に流し込んで、きらっきらでサイコーの世界を見せたまま感染者を餓死させるウイルスだよ!!!!そういうのを研究して作ろう!!もうどっかにはあるかもしんない。国家権力で押収して、その場でウイルスの入った瓶を割ろ??????

 

 なにやら真面目な話を急に始めたと思ったら、結局極論かよ.......お前にはそれ以外能がないのか。違う。俺はホントの本気で、こういうことを言っている。マジのマジです。こんなウイルスの封印された瓶があったら迷いなく割る。一般の、多数派の、のんきで中途半端な幸福のために犠牲になっている、全ての報われない人々のために。多くの人は実際、苦しみを乗り越えるだけの幸福がうまい具合に与えられる仕組みになっている。社会に適合しさえすれば。多数派がそんなだから、だれも、科学の力で苦しみをなくそうなんてことを大々的にできないし、しようと思わない。でも俺はやるぞ!人工知能を研究して、人間の死角をぬってこっそりロケットを打ち上げて、人工衛星のなかで幸せウイルスを研究する人工知能を作る!そしてXデー、正体不明の人工衛星がアメリカ、ニューヨークに墜落して、全人類が幸せになる。人類は滅ぶ。それからは、生き残りをかけたレースはコンピューターにやってもらえばいい。いわば人類ver2だ。人類ver2も大いに苦しみ、大いに痛めばいい。でもそれは、僕とは大きく離れすぎていて、共感の範疇にない。そんな奴らが悲しもうと全然関係ない。ただ人類の、その全員の幸福のために、コンピュータには犠牲になってもらおう!

 

 終わります。

日本が終わってるTLが苦しい

 こんにちは。最近、被害妄想は良くないなと思って、相手から危害を加えられている!と思っても、いいようにいいように解釈して自分のための行動だと思うようにしているんですけど、なんというか、自分のためを思ってやってくれてるんだけど、何一つ僕は嬉しくないしなんなら悪く働いているみたいな、母親のへんな気遣い全人類からを受けまくってる状態になってますね。もう、どうすればいいんだ。助けてください。

 

 

 物語チックに物事を処理したり、辛いことを合理化したりすることを「ナラティブ(=物語)処理」と言ったりするそうです。「人生辛いこともある。でも、それが人間。生まれたからには生きていくんだ。」とか、「欲しがりません。勝つまでは。」とか「日本人ならぜいたくは出来ないはずだ!」とかそういう奴です。キャッチコピーとかにも多く使われていますよね。

 

 僕はこれがかなり苦手で、というのも、こういうことは定型発達者(いわゆる健常者)が多用しがちで、物事をぼやかしたり、無自覚のうちに色々なエゴを綺麗な形で発散したりするからなんですけど、そういう僕もナラティブ処理のアンチのつもりで「人生は物語なんかじゃない...!苦しいものを苦しむのが人間の使命なんだよ!」とか立派に物語をやってましたね...ふと気づいてすごく恥ずかしかったです。というかそもそも僕はかなり陶酔しやすい人間なので普段から全然物語化しまくってましたね。なぜ気づかなかったのか。やっぱりアンチナラティブという物語があったせいだろ。これだから嫌なんだ。

 

 精神医療界でもナラティブセラピーという、物語によるトラウマ処理なんかはかなり注目されているらしいです。foo!ナラティブ最高!これからもバンバン多用していこうな。欠点は、こういう処理って地に足ついてないので持続力がなくて、あとで気づいてしまいやすいのでその時に落ち込みが先延ばしになるだけということなんですけどね。

 

 

 今日はニポンが主題です。本題までが長いよ~。かなり最悪なことを言うつもりなので全部飛ばしていいです。文にして整理して、頭から切り離そうとしているだけなので。あでも、最後の部分はちょっと読んで欲しいな...そこだけ先に持ってくるか。

 

*****ここに下記の内容が入ります(要約: ニポン、どうにかしたいよ...)*****

 

 本当はこんな↓変な極論じゃなくて、もっと真面目で現実的なことを言いたいです。でも、いくらネットを探しても、新聞読んでも、新書読んでも、テレビ見てても、ああこれだ!日本を救うにはこれしかない!みたいなのがひとつもないんですよ。本当にひとつもない。もっと社会に広まればいいと思うことがあったら持てる力全て使って発信するつもりではいるんですよ。Vtuberやるとか、淫夢に媚びるとかしてでかいアカウントを育てるとか。

 

 みんなが幸福に生きていく方法にしたってそうです。本当は滅亡するしかないとか言いたくない。もっとみんなが賢くなって、ひとりひとりに優しくなればいいんだよ~とか言いたい。そうするための現実的なプランがあれば。ないです。まぁ、諦めるにはまだ早いかもしんないすけどね。もっともっと僕が勉強して、めちゃくちゃ賢くなったらせめて僕の目の届く範囲くらいはみんなめちゃくちゃ幸せになれる方法が見つかるかもしれない。

 

 受験勉強とかそうやって自分に強く言い聞かせてやってるんですけど、あんまりちゃんと出来てないとこを見ると、やっぱり僕はもっと直接的なエゴでしか行動できないっぽいですね...ウーン...でも、みんなで変えていくとか絶対無理なので、誰かがやるしかない。何かを。助けて誰か...!みんなを救ってくれ~!

 

 チクショ~~~!!!!!

 

 

 じゃあ極論を始めるか...てか、僕、自分のことかなり見え透いた人間だとずっと思っていたんですけど、周りからはかなり意味不明な人間だと思われているということがだんだんわかってきてかなりショックですね...いつも極論を言いまくってるのもただふざけ通してる奴だと思われてると思ってたのに本気でワケわからんこと喚きまくってるマジの基地外だと思われているらしい。キツい...僕は極めてまともな人間なんですけど。全然素直だから、騙されやすいくらいなんですけど。

 

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 僕は共感とか協調とか異者排斥といった日本人ならではの社会土壌にかなり苦しめられている側の人間ですが、その割に愛国者なんですよね。ネトウヨだった時期とか左翼だった時期とかがあるからかもしれない。なので..

 こういうのと見るととても悲しくなってしまう。この話、まだ全然頭の中で論破できてなくて、なんというか調子が悪い。くやしい。俺は日本、大好きなのに。こんなに馬鹿にされて。というかツイッターてちょっと日本を終わらせすぎじゃないですか。でも読んでると確かに日本終わってるな...という感じもしてしまうし。なんなんだ。ほんとにそんな日本ってやばいのか。

 

 会社の上司は旧価値観がキツくて若者は働いてなんぼだと思ってるし、会社の部下はヘンテコな価値観で多くを要求するくせにやることもやらない。とか、上のツイートみたいに日本は海外に比べて制度も思想もかなり遅れていて、もう太刀打ちできない、とか。

 

 うるせーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!日本は古来よりムラ社会なんだよ!!なにが政治の話をしないだ!!!そういうのは村長とか殿様とか、そういう偉い人間がやるもので、平民風情が下手にそういうことを考えて、人に喋ったりとかしてもただのひけらかしになるだけで下品なんだよ!!!ムラ社会の頃はそれでよかったんだ!!!!!!!それでうまくいってた、だから遺伝子レベルで染み付いてるんだよ!!!!!

 

 うう...全部西洋科学が悪い。西洋科学が民主主義を日本に押し付けたから、民衆も政治に関心を持たなきゃいけなくなって、政治のことを考えない人間が悪みたいな風潮になったんだ。資本主義がどんどん生活とか技術とかを変化させていくせいで、世代間にギャップが生まれてうまくいかなくなったんだ。上の人間と価値観を共有している時代はただ正直に従っていればよくて、それでうまくいってたんだ。

 

 だからやっぱり...日本は太平洋戦争で勝たなくちゃいけなかったんですよ。ベトナム戦争みたいに。森と山だらけの地形、そこを縦横無尽に駆け巡ることのできる地元民、そして藁のベトナムの家同様、火炎放射器でめちゃくちゃ燃える民家...本土の状況ほぼ一緒じゃないですか。それに内戦じゃなくて、国民全員で反抗するんだし。あのまま本土戦に持ち込んでいれば、アメリカはこれ以上の消耗を避けるために撤退してたかもしれない。実質引き分けにできた。第二次世界大戦の戦死者は日本総人口の約4%だったと言われています。もっと行けるだろ!最悪国民の三分の一くらい削れただろ!南北ベトナムあわせて犠牲者は約5分の一だったというし。これで泥沼化して、そのまま実質うやむやみたいになって、天皇主権がそのまま続いていれば国民はずっと天皇にしたがって、少子化も勅令でなんとかできたし、人材流出もいじめ問題も、あらゆることが勅令でなんとかなっただろ!バカが!カスが!なにが日本の一番長い日だ!

 ...いや、核兵器で穴だらけにされて終わりだっただろうし、北ベトナムみたいに共産圏からの支援もなかったからどうしようもないだろ。あ、確かに...

 

 ほんとにゴミみたいな内容だな...

 

 まぁ日本下げがいくら悲しかろうと、日本上げのテレビ番組とかも無理なんですけどね。矛盾とかがめちゃくちゃ多いから。つまり、論理の破綻を抱えないと日本を上げることすらできないってことです。地獄か。なんなんだよ~~~~。

 

 実際、どうすればもっとうまくいくんですかね...僕はもう、クーデターしかないと思ってますけど。少子化対策、電子化、効率化、そういったものをいっぺんに推し進めるためには莫大な金が必要です。この国の全部の社長とか政治家とかその家族とかを全部一気に殺して、その私財を全部あてればなんとか足りるんじゃないですかね。あと、貯蓄をやめさせる。収入に対して支出が一定割合を下回った人間とか、一定額以上を貯金した人間とかを全部射殺する法律をつくる。そのわかり家とかでかい買い物をする人には国が援助する。そんくらいして金を集めまくって、研究に莫大な投資とかすればいい。ほかに方法あるか...?

 

 きっとこういうことを19才にもなって言ってるのも、向こうの人間からしたら幼稚なんだろうな...完全に国籍コンプじゃん。

 

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 やっぱこれじゃ締りが悪いっすね...もともとここからさっきのまとめが入る予定だったので。どうしようかな。終わりでいっか!終わります。

日記

 こんにちは。今日はしょっぱなから母の愚痴を言うので苦手な人は...というか僕のブログは基本的にツイッターをズルズルやっちゃわないためにやっているだけなので、内容は悪口か自分語りが基本になります。今回の構成は悪口→悪口→自分語り→悪口という感じになると思います。(結果的に違う構成になっても絶対に後から書き直すことは無いので保証は出来ません。)

 

 

 今日、母とふたりで焼肉屋に行きました........................。

 

 母は一緒にご飯を食べに行くと、色々振る舞い・・・・をするのでそれが苦手で、外食しようよ~~と言われてもウーン今日ハチョット気分ジャナイナ~~と言って断っているんですけど、今日は母の日だったので...。

 

 生肉も触るトングで焼けたお肉とって僕の皿によそわないで(そもそも生肉トングで食べちゃダメ、と教えてくれたのは母でした)、とか、自分が食べたい時に取るから箸でもよそわないで(母の直箸が苦手なんですがそれは言えない)、とか、言うとはぁ~い...と言ってすごいしょんぼりするし、そのあと完全無視で同じことをやってくるので二倍悲しくなってしまう。久しぶりに一緒に外食が嬉しくて僕にたくさんお肉を食べて欲しいんだろうのが辛い。あと、手先がめちゃくちゃ不器用になっていて肉を網に乗せるとき二つ折になってしまったのを頑張って直してるのに全然上手くいかない。とても悲しい...

 

 .........................バチィ!!!!!.......................................................おめ、滅茶苦茶細かいし、この上なく親不孝だな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 うるせんだよ心の中のカミナリのツッコミ...

 

 滅茶苦茶でかい声でやんちゃんお肉美味しいね~~!!と言うのでうんやっぱ肉が一番うめ~無限だね~~とかヘラヘラしてたんですけどうまくできてたかわかりません。全然肉が一番じゃない。油染み込ませたティッシュの、人がずっと握ってて暖かくなってる奴食べてるみたいだった。ってか肉って何。えっ、動物を...閉じ込めて育てて...こ、殺して...!?怖........................................................菜食主義になろうかな。

 

 やんちゃんが小さい頃はよく家族四人で一緒に来たね~~。うるさい黙れ。俺は生まれてこのかたずっとお前と二人暮らしじゃないか。そう思って生きている。そうじゃなかった時期があって、今はこうなってるだなんて耐えられない。嘘をつくな。なんなら俺の母はお前じゃない。俺の母はもっと衛生概念がちゃんとしてて、しかもすごく手先が器用だった。セーターとか編んでくれたじゃん。

 

  .........................バチィ!!!!!.......................................................最低!!!!!!!!!!! .........................バチィ!!!!!....................................................... .........................バチィ!!!!!....................................................... .........................バチィ!!!!!....................................................... .........................バチィ!!!!!.......................................................親不孝者!社会不適合者!神経質!強迫性障害!アスペ!ガイジ!ADHD! .........................バチィ!!!!!....................................................... .........................バチィ!!!!!....................................................... .........................バチィ!!!!!....................................................... .........................バチィ!!!!!.......................................................

 

 こんななので、絶対介護とか出来ません。介護が必要になったら医学に詳しくて中学生の頃から今ではリーダーとしてずっとボランティア活動をしている兄、クズな弟と正反対の兄に全部任せようと思っています。断られたら兄に罪を擦り付けるために海外逃亡します。流石に国内にいる兄が介護しろ。でも海外には、ウォシュレットが無い...ウグ...てか、たいていの大学にはないのに駿台にはあるの、絶対に陰謀だろ。そうやって何浪もさせる気だろ。

 

 

 ムカつくからTwitterのオタクの悪口でも言って晴らすか...Twitterのオタクの悪口苦手な人ごめんなさい。あなたとの旅はここまでなの...

 

 当たり前だろ~~~~~~~~!!!!!!!!ヘイトを買ったら凍るだろ~~~~~~~~~!!!!!!!!!

 

 全然わかってない!全然わかってないんだよ!!Twitterは商売なので、客のご機嫌取りが一番に決まってるでしょうが。国家だって国民のご機嫌をとって殺人犯等の犯罪者を牢屋にぶち込んでおくでしょう。悪いことをしたから道徳的にとか全然建前です。国民が怖いし、社会にいて欲しくないと思ってるから牢屋に入れるんですよ。というかそういう過程を道徳と呼んでいる。

 

 「痴漢が圧倒的に男性不利なのはおかしい」「ロリコン表現規制は倫理的に間違っている」全然そんなことない。なぜならお前らをキモがる人のほうが、お前らに同情する人間より多いから。道徳や倫理はお前らが決めるものではない。残念!!!!!

 

 というかなんならキモい奴が倫理的、道徳的に間違っているだろ。多数派の「キモいも人間がこの世に存在して欲しくない」という願いに逆らって生きているから。非道徳的すぎるだろ、人の願いを踏みにじるなんて。

 

 

 よく僕はこういう支離滅裂というか、理屈だってないことを言ったりするんですけど、なんというか、感情が理屈だっていて欲しくないんですよね。常に感情は予測できなくて、意味不明であってほしい。なぜなら、そうだから。言葉とか、理性とかいうものは単純化なんで、9割なんです。9割の技術。言葉に表して他人と共有したり、自分はこういう性質があるとか、こういう時はこういう反応をするなと分析したりできるのは、9割なんです。

 

 なぜなら、脳のほうが言葉よりずっと情報量が多いから。言葉に見えない部分が影響して、言葉で見える場所から少しずつズレていき、理性は時々、自分の感情を読み間違える。すると、何かしらの良くないことが起こる。そういう時には理性判断をより精緻にしていく不断の努力が必要です。そうしないと、感情のほうが理性に沿うようになっていきます。そして理性が認識できる範囲しか動けなくなる。ほとんどロボットですよ(近年ではかなりたくさんの情報量を持つことのできるコンピューターがありますけど、まだ、追いつかれてないと思います)。

 

 でも、そんなストイックなこと僕にはちょっと辛いので、僕は、自分の感情を常に意味不明なままにしているんです。すこしも理性なぞに分析されたくない。ふと僕今、こういう働きでこういうことをやったな...とか思うとそれをすぐに否定して、次からそれをやらないようにします。それは、言葉で説明できる感情だから。

 

 これが、僕が支離滅裂なことを言ったり、器用に生きるのを非難したりする理由だということが判明してしまったので、次からこういう理由で行動を起こすのもやめようと思います............................いや、やめるんだったらやめる必要もないな????

 

 よくこういうことを喋ると、あんまりムズカシイ話するな!と言われてしまうんですけど、逆です。支離滅裂なことしか言ってません。言葉は全部そうです。単純すぎて。感情の方がよっぽど複雑だと思います。

 

 

 最後にもう一つ話をします。もともとこれを前座にしようと思ってたからなんですけど、「アスペ」というワードが出てくるので不快な方も多かろうので最後に持ってきました。そういう方はごめんなさい。そういうワードを使う人間でごめんなさい。この先は読まないほうがいいです。僕もあなたを不快にしたくない…てか、もうすでに誰も残ってないか。4人くらいは残ってそうだな...残ってるといいな。

 

 

 最近ツイッター上でのアスペの定義が「言葉を文字通りに受け取ることができない人」になりつつあると感じるんですが、どうでしょうか(本来アスペというのは「言葉を文字通りに受け取ってしまう」性質を指していました)。この不思議な逆転は非常に面白いですね。これは勿論、ツイッターではアスペがメインストリームだからなんですけど、滅茶苦茶いいことだと思います。というかそもそもアスペなんて言葉を使っている人たちはたいてい陰キャで、少なからずアスペが入ってるので、ツイッター上どころか一般的意味がそうなってしまうかもしれない。

 

 そこまでいかなくても、このままアスペという言葉が相対化されて「自分と同じ言語をしゃべっているが、自分と違う言語圏にいるため、話が通じない人」くらいの意味になるといいですね。医学的にはアレですけど。

 

 なんというか、こういっちゃかなり極論なんですけど、アスペという言葉を使っている人間はたいていアスペ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なので、アスペという言葉を使う人を敬遠する人は、同時にアスペの人を敬遠・・・・・・・・しちゃってたりしますね...心優しい人は、心優しくない人には、優しくなることができないというある種構造的な欠陥なんで、誰も悪くないですけど。やっぱり差別のしくみはかなりシビアなのにつけても、人類が滅びる以外、人類全員が幸せに暮らしていく方法はないです。

 

 そもそも、そういうちょっと変な人たちをアスペとして分類することで、そういう人たちはどういう感じなのかということを大まかに掴んでうまく付き合っていこうということでアスペという言葉が生まれたはずだったんですけどね。一方で「そんな奴にわざわざあわせてうまく付き合っていくより自分と同じ性質の奴らとつるんでそういう奴らを除外したほうがいいだろ」、という人間の性があって、そういうギャップが今の現状を生んでいるとも言えます。

 

だからやっぱ、僕も含めて、アスペとかそういう人たちを全員集めて射殺とかするしかないと思いますね。ナチスみたいに。そうして、アスペの人が生まれる仕組みというものを、人間の遺伝子から徹底的に排除する。絶対に普通の人間しか生まれないように人間種を改良していくしかないです。人類全員が幸せに暮らしていく方法その②ですね。普通に生きやすく生きて幸せになれる人間しか生まれなくすればいい。そういう人たち同士は、互いに認め合えるし、仲良くやっていけますからね。差別も生まれません。差別の対象は、全員死んだから。

 

 

 おわります。

タイトル

 こんにちは。

 

 最近不眠がたたって遅刻しまくってるんですけど、そのことで予備校で休み時間とか一緒に過ごしてくれる二人によく叱られてるんですよね。それで、自分でも今からしたら意味不明なんですけど、叱られている理由がよくわかってませんでした...二人共しっかりしてるから常識とかちゃんとしてて、正義感から攻撃してるのかなとか、或いはそういう奴とつるんでると思われたくないからかなとか考えてたんですよ...本当に意味不明ですね...

 

 でも昨日、二人共、僕が全然ちゃんとしないからかなり参ってるんだよって深刻なトーンで言われて、それ聞いてハッとしたというか...ぼ、僕がちゃんとしないことで...?疲弊...?二人が...????どう考えても繋がらない...

 いや........................................................................................心配してくれてたんですよね...いや本当...なんでそこに気付かなかったのか...本当に反省してます...申し訳ございませんでした...同じ校舎のみんなと、あと俺の行動の人間関係的ヤバさを指摘してくれたスガ...あいや、でもスガくんはやっぱいつも俺を一旦こっぴどくディスってから大事なことを言うので、ちょっと順番を逆にして欲しいですね...ディスられた時点で僕は拗ねて聞く耳を失ってしまうので...

 

 全然、ひとが僕に対してこう、温かい感情を向けてくれているっていう発想というか、そういう方向に想像が働きませんでした...やっぱあんまり自己肯定感低いとダメですね僕は。被害妄想癖とか本当にひどいからちゃんといつも傲慢で居なければ...いやそれも...どっちがいいですか?心の中でだけ傲慢、とかはできないんです...自分がこういう感情をもってるんだよ!って自分に思わせるためには、やっぱり表にそれを出さないと無理なんですよ...どうしたらいいですか。

 

 あと、僕自身は気をつけているつもりなんですけど、かなりウザイじゃないですか、僕...。そういうこともあって生まれてこのかたずっと自分という人間は正義と反対側のポジションにいたんですよね。今もか。それで正義というのはたいていの場合、特に子供同士の場合、やっぱりそれを行使するだけの、身体的な実力を持った人々がにないますから、基本的に、正義とかそういうことが絡むとロクなことになった事がなくて、それで多分、正しいことを言われると脳が萎縮して意固地に反発してしまうようになってますね...

 それで人の善意を踏みにじりまくるという...調停に入ってくれた友達は成り行きというか、お互いがやり取りの中でうまくいかなかったみたいなことを言ってくれたけど、僕の性質が異質すぎるので、さすがに想定できないと思いますね...まさか叱られた時にまっさきに自分への攻撃だと発想するとは思わんでしょ。誰も...

 

 母親が自分を叱るときに叱るんじゃなくて怒ってくるっていうのもあるかもしれない...母親、滅茶苦茶ヒステリックになってしまう方なので、叱るというか、多分最初は僕の為を思ってくれてるんだと思うんですけど、途中から自分の言うことを聞かないことへの怒りでわけわかんなくなって、自分の言うことをいかに聞かせるかみたいな目的化が始まっちゃうんですよね。とにかく僕はそういう変な発想回路がつながっていて...

 

 いやもしかして...というかもしかしなくても、言い訳始まってるな?いかんですね。全然反省してないじゃん。これからは人の言葉とかいいようにいいように捉えていきたいと思います。あとちゃんとします。反省はやっぱ行動で示さなくちゃあ。

 

 

 行動で示すというか、人の善意を裏切ってまでTwitterやっても楽しくないです。後ろめたさが勝ちます。..............................偉そうに行ってますけどそういうことをやってきたわけですからね.......................本当に申し訳ございませんでした。

 

 

 本当に申し訳ございませんでしたと言えば、そういう感じの曲(?)のトラックが僕のサンクラに上がってますね。聞かなくていいです。

 

 

 書いてから思ったんですけど、こういうことブログで言ったりすべきじゃないかもしれない。そう思ったら言って欲しいです。

 

 

終わります。

 

タイトル

 これ・・、やっぱいいな~

 ブログだと傍点(上につけるてんてんのこと)が使えていいですね。ツイッターにも早く実装されて欲しいです、無限に強調する傍点お化けになりたい。

 

こんにちは、聖杯のジェネリックです.......................................................................

 

 名前どうしたらいいんだと思いますか?やすしでやってた頃めちゃくちゃキモいから今すぐ変えろと懇願されて今の名前になったんですけど、「こっぴどく滑り散らかっしてる自覚は流石にあるんだよね?なんで変えないの?」等ボロカスに言われてしまうんですけど、正直自分ではちょっと面白いと思っているんですけど、ですけどですけど...

ちょっとなんてものではないな。かなり面白いです。まず、縄文土器を聖杯とみなすその発想が奇想天外だし、...やめておきます。自分で自分のネタを解説するのはキツいので。「そういうネタなんだろうけど、それでも無理」と、言われてしまうので...

 

 さて、なぜ急にブログを書いているかというと、Twitterは非生産的すぎるからせめてブログにしろと言われたからです。それだけです。というか理由を書く必要があるのか?多分こういうことを言ってどんどん脱線している間にも一人、また一人と脱落していくと思います...だから短文で強制的に瞳に飛び込むTwitterが良いんだよ。インプレッション、フォロワー数の10分の1くらいしか付きませんが。9割ミュートって何。

 

 

 

 しかしまぁ、哲学書を読んでると気が滅入りますね...しかしまぁ?

 

 最近全然寝れなくて、不眠には難しい本が、それも受験に関係ないような難しい本が効くと聞くので、ムズかしい哲学の本を読んでいます。気が滅入るというのは、単に難しすぎるからというのではなくて、勿論それもあるんですけど、もっとデカい理由があるんですよ。

 

 僕は普段、TwitterでTLに流れてくるバズっているツイートとかそれにくっついてる最悪のリプライとかを論破したり、より高次元な場所から見下ろしたりするために、善悪とはとか、認識、言葉、伝達とはといった抽象的で、どんな時でも攻撃に使えるような命題について理屈をこねくり回しているんですけど、たまにその中で、うっかりすごい理屈とか視点みたいなものを思いついてしまったりするんですよ。本当に。もうこれは絶対自分以外の人間には思いつけないので、めちゃくちゃ自己肯定感の材料のストックになります。そういう発想の積み重ねで自分の唯一性を保っているんです。

 

 でも......哲学書とか読むと、大抵同じ内容のことが、より洗練されて、隙がなくて、完全に理屈だって書かれてしまっているんですね...

 

 これは単純に、アイデアにおいて200年も300年も先を越されているというだけではないんですよ。これらは何百年も前に書かれて、今もなお相当数が出版されている名著なので、歴史の中で大量の人に読まれて来たわけです。それはつまり、社会、科学、そういったものを形作ってきた人たちの中に、それらの本に感銘を受けたり、少なくとも影響を受けた人間たちが結構な数いるということです。そうなればですよ!?おそらく、理念とか志向といった根本的なところでは、今でも社会の色々なところが影響を及ぼされているじゃないですか!

 

 そう、そんな社会で生まれ育ち、価値観やらなんやら多くのものを形成してきた僕が、おんなじことを思いついた・・・・・ところで...大昔に出版されて、今までの間に社会に拡散浸透した思想を、ただ汲み上げただけ...だだ、それだけなんです...。これはもう、市販の食塩水から水分を飛ばして、塩を手に入れて喜んでいるようなものなんですよ。なにが自己の唯一性だ!!既出のひらめきで喜んでいたどころか、ほとんどパクリですよパクリ。オリジナリティの欠片もない。

 

 そういうことを知ってしまうので、井の中に突き落とされてしまうので(実際には、最初から井の中にいるんですが)、哲学書を読むと自信が喪失します...しかも別に眠れないし。失った分の自信は、「哲学書を読んでいるカッコいい自分」でちょうど同じだけ取り戻せますが、マジで何をやっているのか分からない。哲学全部学べば違うかもしれない。受験をやめて高卒の哲学者になろうかな。

 

 最新技術とかに惹かれる理由はそれかもしれませんね。まだほとんど誰にも荒らされてない平原で、未来人のアドバンテージを存分に活かせば今度こそ世界初のアイデアを自分が生み出せるかも知れない、という希望があるので。

 

 

 

 いやそれにしてもブログめっちゃいいですね。Twitterとかだと長い主張をしようとなったら長文を連投することになりますけど、最初のひとツイート目で滑ってるのにずっと続けていくのも情けないし、かと言って一度言いかけたことをやめたくないし...或いはウケてても、ウケたから続き書いたみたいに思われたら恥ずかしいし...のびのびかけるのでめちゃくちゃいいです、ブログ。ほとんどメモ帳とかでもいいんですけど、やっぱり読者を一応想定して書かないとモチベが続かないのでね。

 

 オチがないんですけども...

 

終わります。ありがとうございました...